今朝朝食を取っている時に父親から「残りの人形もすべてお寺に供養のために送ったよ」と言われた。
6箱もあったと聞いて驚いたが、無事に供養に出せて良かった。
これで全部だと思う。
売れるから残しておこうと言ってたものの、「やはり生きているような雰囲気がするから嫌だな」と思っていた人形があり、父親も同じ感覚がしたらしく、残さず供養に出したと言っていた。
これで伯父の遺品の人形もすべて供養に出せたはず。
すべての人形が輪廻に帰るように早くお寺に行き成仏の道を選ぶように祈っていたので今朝父親に話を聞いて祈りが通じた気がした。
観音様に伯父の遺品の人形が成仏して浄土に行けるように導いて欲しいと祈っていたから観音様のおかげである。
いつもながら観音様に救われた。
気持ちが軽くなった気がする。
伯父が人形を置いてた部屋には御札や観音様の経典を置いて「早く成仏の道を選んで欲しい」と祈りながら処理のための作業をしていた最初の頃を思い出す。
御札や経典の力も凄いなと思った。
朝の出勤時にこの記事を書いているが、いま一瞬目の前の女性の顔が人形に見えてビクッとしたが、直ぐに人の顔に戻り「なんだ今の?」と思ったが、まだお寺に届いたわけではないだろうから人形が最後に挨拶に来たのかな?と思った。
お寺に届けばお焚き上げの日まで並べられてお経をあげるみたいだし、今日お寺に届けば無事に成仏の道に進むだろう。
それにしても、自分の人生に障りがあった要因だったとしたら、一番良い時期をダメにされてしまったなと思う。
人形だけでなく井戸とか稲荷様の祠とか気をつけないといけないモノはしっかり管理できないのならば後の者が困るので最初から持ってはいけない。
今回の件でそれを強く思った。