主張はしたが。

チームリーダーと対話した。

柔らかくだが、言うべきことは言った。

効果があるかは「?」だけど。

見えない脚本家の書いた俺のシナリオはなかなか明るい兆しが見えない。

とはいえ、いつ死んでも未練も後悔もない人生。

良くなりたいということ自体がエゴなのかな。

実家に帰り、両親も高齢になっているし、明るい未来が来るとか逆にないか・・・。

俺の今世も早く終わってくれてもよいのだが。

あと20年もある

今朝もライン長(管理職)から叱責を受ける。

完全にターゲットにされてる。

若手の上級総合職や一般職はターゲットになりにくく、下級総合職で年齢も中年の俺世代がターゲットになりやすい。

今の上層部だって、けして高学歴ではない。

会社が大きく人気になる過程で彼らの世代は外から優秀な人材を入れなかったから守られているだけなのだ。

見えない脚本家のシナリオもかなり自分には厳しいなと思う。(^_^;)

前は若かったから乗りきれたけど、最近は潰れるのではないか?と心配している。

まあ、人生終わってあの世に行くことには何も抵抗はない。ただ、自殺はしたくないから、寿命がくるまで生きているだけ。

観音経を唱えて救いを求める。

せめて平和に暮らさせて欲しい。

14時から面談すると言ってたけど、またお説教かな・・・。

本当に嫌になるな・・・。

メンタルがもたなくなるよ。

観音様に救いを求める。慈悲深い観音様なら救ってくれると信じている。

あと20年もあるのか・・。

そこまでは勤まらないだろうな。

終われないから・・・

俺は今人生が終わってもまったく未練も後悔もない。

早く汚い現世から去りたいくらいだ。

ただ、運命とは見えない力に決められているみたいだから、現世が苦しくても勝手には終われない。

昨日も職場での上司のあたり方がキツかった・・・。

どうするべきか家で二種類のオラクルカード引いてみたけど、どちらも「健康」に気をつけるようにというメッセージだった。

世の中からいじめはなくならない。

立場の強い者がやりたい放題できる仕組みになっているから。

両親も歳を取ったし、さすがに会社のことなど言えないから、まあ、普通にやってる感じで出勤していく。

本当は辞めてバイトでもして暮らしていきたい。

そういえば、1年前くらいに会社を辞めてしまう夢を見て、起きた時に焦ったことあったな。

そのうち現実になるかもしれない。

今日も激しくあたられるから覚悟して職場に行かないとな。

辞められない

会社の本社にいるから、現場の人からはエリートと思われているが、本社の中にはさらに区分があり、俺は城勤めでいえば下級武士のような位置付け。

上級武士に言われたい放題で、悔しくても我慢。

会社で初めて行うようなリスクのある施策を行う係には捨て駒要員として配置されることも多い。

必死に土台を整えたらエリート上級武士たちに仕事を渡す。

この際にいくら苦しんでも対価は変わらない。評価されるわけでもなく、費やした時間の残業代が法律のおかげで払われるだけ。

今朝も理不尽なことがあったが、反論とか聞き入れてもらえないし、反論しようものならイジメの対象になる。

この組織はダメだなと思いつつも、辞めるに辞められない。

転職するには若さが足りない。

だから、せめて負荷の低い部署に異動したいが、それすらも認めてくれない。

同世代の下級武士的な本社社員は体調崩したり、メンタルやられたり、かなり疲弊している人が増えてきた。

俺も定年退職までもたない気がする。

それもまた見えない脚本家のシナリオか・・・。(/ー ̄;)

少し安定した部署に異動したい。気性の荒い部長や、やたら神経質ですぐにキレてしまう課長の下で働くのは厳しい。

両親が健在のうちは辞めたくても辞められないかな・・・。

なりきること

延命十句観音経は16150回まで達した。

ペースは落ちてきている。

奇跡体験みたいなものがないと、信心も弱くなるのかもしれない。

最近は観音経を読んで観音様をイメージしていると自然と毘沙門様のイメージに変わる。
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弱さを克服するために必要なイメージとして観音様が毘沙門様のイメージを送っていると信じている。

観音経で観音様は毘沙門様にも姿を変えるとある。

つまりは同一神なのだ。

俺は見えない創造主が創ったこの世というゲームの中で弱いキャラだが、観音様に祈ることで少しでも観音様がルートを変えようとしてくれているのだと思う。

毘沙門天も観世音菩薩なのだ。

観世音菩薩の化身が毘沙門天である。

だから、観音様と思い、毘沙門天に祈る。

知略や戦意は毘沙門天から授かる。

そして上杉謙信のように自らが毘沙門天の化身と言い切れるように観音様や毘沙門天様を好きになり、なりきることだ。

究極の信心はなりきること。

その境地に至れば、今の苦しみからも解放されることだろう。

究極はなりきる

信仰の究極の形は祈る対象そのものになりきることらしい。

密教関係の書籍に書いてあった。

俺で言えば観音様や毘沙門様になりきり生きるということ。

戦国武将で言えば上杉謙信がちょうどその生き方をしていた。

彼は毘沙門天に祈り、毘沙門天になりきることで戦では無類の強さを見せた。

密教で言うなりきるはあながち間違っていない。

俺もそうする。

シナリオどおり

今日以降の自分に必要な要素を占ってみた。

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強い心で動じないようにしないといけないみたい。

先日の定年退職までは「戦」と出たのといい、見えない脚本家はなかなか厳しいシナリオを自分に与える。(^_^;)

俺はだいぶ普通の人の人生より横道に逸れた人生だからな・・・。

自分でも自分が嫌になる。(^_^;)

今は毎日観音経を唱えて観音様や毘沙門天様と一体の感覚で生きるようにしていて、だいぶ心も軽くなってきたが、それまでは本当に毎日が苦痛だった。

この世は見えない脚本家が書いたシナリオどおりに生きる神様が創ったロールプレイングゲームの世界。

最近はそう思う。