祈り事より、そのものをイメージする

けして楽にはなっていないが、最近はピンチの時に観音様に救われているのがわかる。

「あ、助かった」と思うことが増えた。

観音経の読経は無意味ではなかった。

そして、今朝も読経したが、その時に「自分自身が観音様や毘沙門様にならなきゃ」と思った。

読経の間はなにかを願うのではなく、ひたすら観音様や毘沙門様をイメージする。

自分というハードウェアに観音様や毘沙門様をダウンロードするつもりでイメージする。

この世は苦しいことが多いし、生まれてきた時の役割によっては理不尽な思いをする人も多い。

救いがなければ、本当に苦しいだけの世界になってしまう。

だから、観音経やご真言があるのだと思う。

この世界の創造主が用意した隠しアイテムみたいなものだったのだろう。

それを昔の高僧たちが見つけていったのだと思う。

願いは言わなくても神仏は人ではないから、すべてご存知。

大事なのは祈る対象となる神仏そのものを強くイメージして祈ること。

これが祈りが叶う秘訣と言ってる僧侶もいた。

人生が苦しく、楽ではないことは変わらない。

しかし、ピンチで救われることは本当にありがたい。🙏

南無観世音菩薩🙏
南無毘沙門天王🙏
南無大黒福寿尊天🙏
南無神田大明神🙏
南無鹿嶋大明神🙏
南無八幡大菩薩🙏
南無七面大明神🙏
南無三輪大明神🙏