昨晩お経を読んでいて思ったが、やはり障りの影響はあったのだと思う。
今でも力は弱まったとはいえ、少しは影響している。
お経を読むことで影響を押さえ込んでいるのだと思った。
伯父が存命中は何百体という人形があり、それに加えて家系にある因縁もあったからパワーが強すぎてちょっと祈った程度では押さえ込めなかったのだと感じる。
今でも因縁がもたらす影響はあるし、根幹の何かは残っているのだろうけど、前のように強い負のパワーで包まれている感じはない。
前は祈っても目の前にモヤがかかっていて、祈りが神仏に通じない感じだった。
今はそのモヤを感じない。
それでも根幹の何かは残っているだろうから、守りの経文を中心に読む。
人生も徐々に晴れ間が見えてくるとよいのだが。