信心とは生き抜く知恵だ。
信仰の対象は俺のように観音様のような仏でも、神道が好きな方は神様でも、スピリチュアルか好きな方は守護霊でも、それは自由に信仰すれば良いと思う。
人生にはいろんな苦難がつきまとう。
だから、この世を作った誰かが信仰という痛みを和らげる方法も用意したのだと俺は思う。
サラリーマンに限らず、人生は中盤以降更に厳しくなる。
中にはトントン拍子に生きていく人もいるが、大半の人はなんかしらの苦難で悩んだりするだろう。
自分の信じる対象を存在すると信じて、素直に救いを求めること、そして祈る時は願い事よりも信じる対象そのものをイメージすることだ。
それが一番祈りが通じやすいやり方。口に出さなくても祈りの対象はちゃんと何に悩んで祈っているかくらいは理解されているのだ。
俺もそうだが、うまくいかずに悩んでいる人は一緒に頑張ろうと思う。
自分の信じる対象を信じればよい。
祈りの対象が同じでなくとも、祈りは通じると思う。
そして少しでも功徳を積んで人生を終えることを考えるべきだ。