観音様に祈り、自らの中の観音様を呼び起こし、自らが観音様のように行動することで救われる。
観音経を読んでいるときに感じた。
観音行とは観音様になることである。
俺は事故的な出来事から昇進できなくなったが、観音様も敢えて如来にならず、菩薩の位置で衆生を救う道を選ばれた。
そういう生き方もあるのだと思う。
南無観世音菩薩 念彼観音力
南無観世音菩薩 念彼観音力
南無観世音菩薩 念彼観音力
信じる神仏は自分の好きな神仏でよいのだと思う。すべて観音様の化身と考えれば、信仰の対象は一つということになるのだから。
それゆえに観音様以外の神仏に観音経を読むこともありだし、南無観世音菩薩と祈ることもありである。
観音様があらゆる神仏に姿形を変えるように、我々も時々に応じて適した人物や役割を演ずることである。
演ずることが観音様でいうところの変化と同じなのである。
今の自分が必要とするキャラクターを演じること。
観音行とは、演じることである。
南無観世音菩薩
南無観世音菩薩
南無観世音菩薩
🙏