願い事というより感謝の参拝。
人生とは運である。
若いときはそうは思わなかったが、ある程度人生を生きてそう思うようになった。
だからこそ、神社やお寺を参拝する人も絶えないのだろう。
努力ではどうにもならないことも人生のなかには多々ある。
知り合いは豊川稲荷さんと相性が良いらしく、昨日は豊川稲荷東京別院に参拝したと話していた。
今回の人生が今からでも日が射して欲しいし、死ぬ時には「良い人生だった」と思って人生の幕を閉じられたら良いと思う。
今朝も観音経を読んだ。素直に我が人生に救いを求める。
何か神秘的な力を感じたりすることはない。
俺はごく普通の凡人だから。
毎日のように信心について書くが、宗教団体等には一切属していない。
自己流の信心に過ぎない。
だけど、それでいい。
大事なのは信じる気持ちだから。
僕は観音様を一心に信じて人生を好転させていきたいと思っている。
これは観音様の教えには反しない考え方だと思っている。
自分が救われていなければ、他人を救う余裕などないのだ。
観音様の信心については素直に救いを求めて祈る。もちろん、観音様が今後も何千年、何万年と信仰者に祈り続けられるように繁栄されていくことも祈っている。
大事なのは素直に救いを求めて祈る気持ちである。