一心に観音様に祈り、あとは委ねる。
一見頼りすぎのように思えるが、救われるうちに悟りを得ると思っている。
法華経の中のいわゆる観音経の部分を読んだ時に末法の世での救いの経文はこの部分だ❗と感覚的に思った。
この経文に対していろいろ解釈があるが、自分は深読みせずに救いの経文だと思っている。
救われるうちに悟りを得るものだという考えである。
人間はなかなか自分一人の力では人生を変えることはできない。
もっと大きな力が働いているのだ。
うまくいってる人のなかには自らの行動のおかげと勘違いしている人も多いが、実際は運や縁に寄るところが大きい。
だから、経文の意訳をそのまま受け入れて救いを求めて祈る。
観音様の救済力を信じる。
源頼朝公も熱心な観音信者だった。
自分も我が守護仏と思い、観音信仰を続けていく。